子供のおなかの風邪がうつりました

とうとう発熱!

でも、子供たちは容赦ない。

 

だるいー、節々が痛いよー。

友達になりたかった

同じ幼稚園バスの中の人たちの中で、友達になりたかった。

まぁ、普通にお話はできてはいるから、そこはいいんだけど…。

バスを見送ったあと、立ち話をしているのがうらやましかった。

仲間に入りたかった。

子どもも仲間に入れてもらいたかった。

でも、あちらはあちらで、小さなころからの絆があるし。

その中に入っていくのは困難だ。

でも、自分が小学生のころ、自分が仲良くしたくても、してくれなくて。

他の人はやってもいいのに、自分はやってはだめって言われたことがあった。何だったか忘れたけど。

ただ、自分はダメだっていう、仲良くしてくれないっていうさみしさの記憶がある。

仲良くしたかった。

仲間に入りたかった。

普通に話してくれるのはありがたいけど。

『ともだち』になりたかった。

自己啓発本を読んでからママたちの集まる、お疲れ様会に行ってきた。

みなさんこんにちは。
今日はとてもあたたかいです。

先日、幼稚園の卒園したママたちが集まる会に行ってきました。

友達いないので、すごく不安でした。
うまく人と関われないのです。
わからないのです、女子のあの独特な感じ。


でも。


旦那さんの件もあり、かなり気分がブルーだったので、昔買った、自己啓発の本を読んでから行きました。
よくある、前向きになるやつね。

たいていこのような本は、読んで数日はモチベーションを保てるけど、それ以降は本棚にしまってしまいます。

でも、この日の為のお薬みたいな感じで、本を読んでみました。

このようなママの会、茶話会では、私だけ浮きます。

まず、こどもとママの顔が一致しない、覚えていないから、会話をふれない。

小学校の子供がいるママたちはそこで仲がよい。

タメ口で冗談を言ったりしている人たちの空気に入っていけない。

下の名前で呼びあう中に入れない。

なので、とても緊張していたけど、本のとおりに、とりあえずにこにこしてお話をきく、いいことだけ見つめる、いいことを探すを実践してみました。

とりあえず、行きのバスは、同じ幼稚園バスだった人と一緒に乗れた。

お店での席順は先生が作ってくれたくじ引き。

先生もいたし、隣のママがよくしゃべる人だったので、助かった。

途中、グループの中心人物の中の一人(Aさん)が、子供の発達障害という共通のものがあったので、話しかけてきてくれた。

帰りのバス、なんとなく自然にふるまって、同じ幼稚園バスのひとと一緒に乗れた。

そして、二次会!

誘われないだろうなと思っていて、帰るつもりだったけど、なんとなく一緒に行く雰囲気だったので、15人くらいで行けた。

でも、歩くときはひとりぼっち。

前には中心メンバー、後ろには私と同じ幼稚園バスの人が、もともと仲が良いの人と、そのあたりの人たち。

どちらにも行けなくて、私はひとりで歩いていた。

で、お店に入ったら、席に着くときに、発達障害つながりのAさんが『こっちにすわって』と声をかけてくれた。

うれしかったなぁ。

でも、今度は、隣と前の席の人が、あまりいつも話をしない人たちで、話題にもついていけなくて、一人でキョロキョロ。

ビールのんで、つまみ食べて、キューリの一本付けがおいしくて。

なんせ、発達障害(疑)は、空気よめない、人と合わせれないということで、大海原にひとりでポツンと投げ出された感じ。

同じバスの人は、私より仲の良い人と遠くに座ってしまったし。


でも、いいことを探す、というのを実行して、その場にいれることに感謝していた。

そして、チャンスを見つけて、あまり話をしていない人に少しだけ声をかけたり、斜め向かいの人が話を振ってくれたので、ここぞとばかりにのったり、なんとなくみんなと一緒に笑ったり。

AさんがOBのグループラインに誘ってくれた。
最初、隣のあまり話したことがない人は私にラインを聞いてくれなかったけど(タイミングが合わなかった)、Aさんも言ってくれたことだし、勇気をだして、私もライン入れてくださいと言えた!そして、無事に入れた。

本を読まなかったら、ラインをきかれなかったこと、ひとりで歩いたこと、みんなとタメ口で話せないことを悩んでグスグズしていただろうけど。

本で、いいところを探す、というのを影響されたので、Aさんがラインに誘ってくれたこと、とりあえずにこにこできたこと、少しだけだも、いつも話できなかった人に自分から話しかけれたことを自分で自分をほめれるようになった。

と、いうか、まるで本を読んだ私を試すかのような二次会の席順。

あまり話をしなかった人がまわりにいて。
それを自分でどうにかしてみなさいという、テストのようだった。

結果、100点満点じゃないし、帰るときの態度もどう思われているか心配だけど。(帰り、だれとも一緒にならないように、そそくさと帰ってきた。私と一緒に帰ってもらえる自信がなかった。たぶんこっち方面の人はそんなにいないはずだけど)
でも、少し話しかけれたし、話しかけたら少し返してくれたし。

30点くらいかな。

発達障害(疑)なら、それだけできれば十分でしょう。

なので、家に帰ってきてから、素直に楽しかったと思えた。

初めて、そう思えた。

きっともう、ママ友はできないけど。

この30点を続けていけば。

落ち込むだけの集まりから卒業できれば、それでいいかな。

これからしばらくは、自己啓発本をうまく活用しようと思います。

死ねと言われて思ったこと

一番の理解者の人のはずの人に死ねと言われた気分

『死ね』と言われただけなのに、刃物で刺された気分。

そして、毎日刃物を突き付けられている気分です。

旦那の姿そのものが、私に対する刃のようです。



一応、普通の会話をするように気をつけているけど。

足下からひんやりする気分。

冗談でも、人に死ねって言ってはいけないなと、実感しました。

旦那に死ねって言われた。

家の中の空気清浄機の加湿のことで、旦那に死ねと言われました。

娘が熱を出して帰ってきたのは、私が加湿器の水を給水しなくて乾燥させていたからと。

私は、『わけがわからない。幼稚園に行っていたから関係ないでしょ』というと、旦那は私に『バカにするな、死ね』と言いました。

まぁ、先日のビールの会で私が怒って『もう行きたくない』と言ったこととか、家のお互いの領域の件とか、色々と積もり積もってのことだとおもうけど。

でも、死ねっていうのはないでしょう。

と、同時に、いじめとかで死ねって言われるって、こんなにつらいことなんだなぁと思いました。

私の言い方だったり、普段から要領よくふるまっていればそんなこともないのでしょうが。

昔、仕事しているときも、担当の営業に私の意見を言ったら、えらくキラわれた事があったな。

多分、『人の顔を気持ち読み取れない』とか、空気読まないとか。

そのようなものが出ているんだと思う。
成長していないという事なんだね。

でも、死ねって…。

しばらく私は固まりましたよ。

そして、心が凍りましたよ。

実家に帰りたくなりましたよ。

まぁ、大人なので、言い返しもしなかったし、自分も少しは原因があるかと思ったので、そのまま黙り込みましたけど。

次の日の朝、『どうして死ねって言われたやつに朝ごはんとお弁当をつくらなければならないんだろう』と思ったけど、扶養してもらっているので仕方なくとりあえず作って、会話は最低限にしています。

旦那は、オレは悪いことしていないって思っているので、普通にしています。

心が凍ったまま、しばらく生きていきます。

こうやって、気が付かないで人を傷つけてキラわれて攻撃されて二次障害を発症するんだなと実感しました。

実感している最中です。

それでも育児はやらなくてはならないので、がんばります。

ビールの会

みなさんこんにちは。

先日、あるお店のビールの会に行ってきました。

月に一度、会費を払って、ビールの飲み放題です。

ここは、だいたい来ている人も決まっていて、去年から家族で通い始め、顔見知りもたくさんできました。

子ども達もかわいがってもらえる場所なので、貴重です。

でも、私は大変です。
会費を払っても、車の運転なので、ビールは飲めない。

みんなとのふれあいを楽しんでいる旦那さんは子ども達たちをみてくれない。

子どもオーケーでも、ほおっておくわけにはいかない。

他の子供がきていたら、一緒に面倒をみて、ちょろちょろする子どもたちをおいかけなきゃいけない。

一人だけをみているならなんとかなるけど。

お兄ちゃんが眠いからそばにいてと泣き、下の子が友達と走り回っていたりすると最悪。

泣きながらおにいちゃんを連れまわすか何かしなきゃいけない。

旦那さんのそばでは寝ないし、こちらをちらりとも見てくれない。

私は、同時にいくつものことをこなすのが難しい。

子どもってそんなものなのはわかっているけど、本当につらい。

同時にこなせない自分にイライラしたりするのがつらい。

その上、早く帰りたいのに、旦那さんはまだビールが残っているからと帰らない。

子どもがいるのに、なんで閉店までいなきゃならないのだ。

しかもそのつらい気持ちは、数日つづくのだ。
気持ちの切り替えも下手なのだ。

そうして自分で自分を苦しめる。

会の人たちは、本当に良い人たちばかり。
だから、余計に迷惑かけたくない。

あと、嫌われたくない、普通の人と見られたいという気持ちから、普通の会話もすごく気を遣うという、発達障害(疑)が出てくるから、余計に疲れるのです。

いつも受け入れてくれてありがたいけど、やっぱり私は一人で数人の面倒を見るのは辛いのだ。
人と普通にお話するのも、大変なのだ。

もう、来月はせめて時間を先に決めてもらおう。
閉店間際はやめてもらおう。

子どもの小学校生活が不安なのは、自分の小学校生活が苦しかったから。

みなさんこんにちは。

日差しもあたたかくなり、春めいてきましたね。

まだ子どもが幼稚園の年少、年中の時は、さほどこの季節は怖くなかったのですが、年長を過ぎたこの季節は、次は小学生という事もあり、私がとても不安定になっていることに気が付きました。

 

それは、自分の小学生時代が苦しかったから、それを思い出され、フラッシュバックがすごいこともあります。

なので、子供にそんな思いをさせたくないと思い、毎日心を痛めています。

だからといって、私がどうこうできるわけではないのですが。

 

  • 小学校一、二年生は、まだ悪い記憶はない。
  • でも、三年生、四年生になると、なんとなく苦い思い出が増える。
  • 先生とのトラブルが、なんとなく記憶にある。提出物、自分はこれで完成と思っているのに突き返され、でも納得がいかずに次の日、そのまま出したら、すごく怒られた記憶。それが女の先生で、今でもその怒られた表情、長い爪の指で私を指さして怒った事、イライラした気持ちが心と頭の片隅に沁みついている。まぁ、今考えると、先生のイライラした気持ちもわかる。確か、本の感想を書かなければならなくて、でも私はそのまま内容をうつしただけだったようで、でも当時はこれで良いと自分で思っていて、それで余計に怒られた。私の態度も、ふてくされてかわいくなかったんだろうと思う。多分、怒りっぽい娘を見ていると、自分もこうだったんだろうと思い、こんな子供の対応をしていた大人に申し訳なく、今なら思う。女の先生だし、体調も悪い時期だったりしたのかも。
  • 5年生のクラス替えで、ひとりぼっちになり、お昼休みは毎日一人で廊下で過ごす。
  • 意地悪な女の子の後ろの席になり、悪口を言われたり、トイレ掃除のときにイヤなことを言われる。

 

などなど。

 

たぶん、空気が読めない、人の気持ちに気が付かない、自分を悪く思っている人物に気が付かなて、そのまま関わってしまい、さけることを知らない、自分から輪の中に入れない、という、発達障害がもろに出ていたと思います。

 

でもなぜか、六年生は楽しい思い出があり、卒業式は楽しめました。

でも、それからがまた大変。

 

中学校は、小学校からほぼ持ち上がりなので、それなりにうまくやっていたのですが、やっぱり、中学一年の時はダメだった。

小さいころ一緒に遊んでいたクラスメートの女友達に『別れよう』と言われた。

その子はバレー部に入ってて、学校の行き帰りはそのバレー部の部員の子と一緒にしたいって言われた気がする。

『じゃあ、その子と私も一緒に学校に行きたい』というと、はっきり『ダメだよ』と言われてしまった。

しかも、その話をしているときに、何か他のことが気になり、すぃーっとその場を離れてしまった記憶がある。

それからはもう、本当にその子とかかわった記憶がない。

その子は、本当に私から離れた。

たぶん、避けられたりしていたんだろうと思う。

でも、その時期は、私はそれに気が付いていなくて、しばらくたってからさみしさに気が付き、たいした反省もしていなかったと思う。反省の意味がわからなかったし。

そして、また人に対して、同じことを繰り返し、またさみしくなっていくんだ。

一応、その時、そこそこ友達ができて、でもまた嫌われて…。

 

高校も、うまく振る前なくて、大変苦労しました。

だんだん、心が苦しくなってきたので、またそのうち書こうと思います。